残り6粒でどうでもよくなる

文書を作成するアプリを久々に開いたら、過去2年くらいの書きかけのものがたくさん保存されていた。

いろんなことが起きていた。近所のチワワの勇ましい歩みを微笑ましく思い、会社の更衣室でこっそりチョコパイを食べて美味しさに感動し、重たい食事のあと気休めに健康茶を飲み、仕事で割を食ったなという日には、今日はたまたま私の番だったのだと自分を励まし、朝寝坊をして(またか)と思い、人の愛とやさしさに泣いていた。

こういうささいな事柄に私らしさが出てきてしまうな、と思う。今日だって、書きかけにしてきた日々と大して変わらなかった。

通勤中に鳥や犬を見てへらへらしたり、おやつに でん六豆 を買って、半分取っておくつもりがひと袋食べきってしまって少し落ち込んだりしていた。仕事も全然ダメというほどではなかったけどなんかしっくり来なかったし、家事もサボっている。きょう上手くできたことといえば健康診断の採尿くらいのものだったんじゃないか。これすら結果が芳しくなかったら笑うしかない。

初夏お気持ち表明ヤバい水着

 最近痩せてきた。 昨年比マイナス5キロだ。まだまだ脂肪やむくみが気になるが、洋服を着た時のゆとりとか見える骨など変化は感じる。


小さなころから、人より太ましい姿をしている。がっしりとした骨格の上に、脂肪もしっかりついている。平均体重より5キロほど重いぐらいの、小太りって感じのサイズ感で生きてきた。これ以上大きくなると体がしんどいのも分かっていたので、食事や体重は記録し続けていた。

 

その効果があったのかないのかよくわからないが、だいたい一定の値を維持していた。なにより食べることが好きだし、服の選択肢が無いというほどでもないのでとくに問題には感じていなかった。だから今回のこれは、痩せようと一念発起したというわけではない。


年始ごろ、なぜかごはんがあまり喉を通らなくなった。においや見た目ですごくそそられるのに飲み込むときにオェッてなる。

原因はよくわからないが、年末年始にあれこれ食べ過ぎて胃が弱っていたのだと思う。人に出されるご飯は残せないというポリシーがあるので社食だけはなんとか食べきって、朝晩は流動食というような生活を1か月くらいしていた。


同時期にこの数年伸ばしていた髪に飽きてショートカットにした。雰囲気が変わったついでに服装とかメイクとかも変えてみることにした。どうやら少し痩せた方がしっくりきそうだったし、食欲も下がっているから丁度いいと思い、筋トレやら小顔マッサージ的なことを始めた。YouTubeはいろんな挑戦のハードルが下がってすばらしいと思う。たくさんあるから、自分が続けられそうなものを探せる。現代のいいところである。


とりあえず今月で第一段階の目標は達成したが、あともう少しがんばるつもりで目標を立てた。筋量を増やしたいので体重はさておいて、ヤバい水着が似合う体にすることだ。80年代後半〜90年代前半ごろに流行していた、いわゆるハイレグといわれるやつを、私はヤバい水着と呼んでいる。露出度はそんなに高くないはずだけど股の切れ込みがかなり大胆で、ビキニよりむしろ体つきを強調している気さえする。その健康的過ぎる、やたら明るいセクシーが大好きなのだ。ああいう波動を放ちたい。


食費をへつる為に痩せたことはあるが、一度くらいはボディメイクとして成し遂げて自尊心を育てたい。基本的に怠け者なので、筋トレがめんどくさいと思う日も週の半分くらいあるし、食欲が普通に戻ったので、誘惑もある。

そんな時にヤバい水着を思い出すと出来ることからやろうと思える。めざすのは隆起した背筋、くっと上がったおしり、むっちりしているけれどきれいな、おいしそうな脚だ。筋肉のうえにうすく脂ものって、健康的で生々しいからだがいい。痩せてもなお残るがっちりした肩や広い背中、肉体労働で年々ムキムキになる腕もさらけ出そう。海で、体に砂がめっちゃついてる写真が撮りたい。クソポストカードを作りたい。そんなことばかり考えている。


元々の体格もあるのでどこまで自分の理想に近づくのかはわからないけど、多分こういうのがモチベというやつだ。


たのしい夏にしたいな。どこにもいけなくても、買うんだ。赤かターコイズショッキングピンクで悩んでいる。そういえばユニクロで買ったヤバい紐ビキニもまだおろしていないから着たい。


そういうお気持ち表明でした。

 

 

占い師にはさせない

ーなんか感じが変わったね。彼氏できた?


とかっていうのは、この見立てが外れるところまでがパターンだなあ、自分が言われた経験もあるし、ほかの女の子が言われているのも500回は聞いたんじゃないのみたいなかんじです。

 

私は、恋愛で変わってしまうのはそんな外側のとこではなくてもっともっと奥のとこのやつなんじゃないか?って思ってるんだけどそんなこと一生懸命話したところで、なんだコイツみたいになって終わると思うから「縁のもんですからねえ」とか言っている。毎回これだから、めっちゃ縁を推奨する人になっている。みんな結んでこ〜(^O^)


たしかに恋人どうしって自然と似合っていくから見てくれも変わるんだろうけど、そういうふうに、人が変わっていく要因って他にもあるよな、友達や仕事、好きな音楽とか。ふつうに今までのスタイルに飽きたとかもある。みんなそれを知ってるはずなのに真っ先に恋愛になる不思議さよ。


ちなみに、ほんとに恋人ができた人はそうやって訊かれるとだいたい「なんで?」って言うらしい。バーの店長から聞きました。ご活用ください。

 

春に

 春のうららかさに圧倒されていたら寒さが戻る日があって、少しほっとした。冬の間はずっと春を待ってたのに、いざ「春だよ〜〜!!!!!!」って言われると、待ってよ!!と思ってしまう。


私の過ごす街では缶チューハイ片手に何か叫んでいたり、下半身がむき出しになってたり、いわゆる芽吹いている感じの人達を通年見ることができるが、やはりこの時期の彼らが一番活き活きしている。やっば(笑)とか言ってたころもあったけど私だっていつ芽吹くかわからないと思ってますよ。


つい昨日、『窮鼠はチーズの夢を見る』をアマプラで観た。たしかにこれは皆観て…ってなる。解釈や残る気持ちが人によってかなり変わるだろうし、置かれてる状況によっても変わるような気がする。主人公と近い年齢のいま観れるっていうのは贅沢で、しかし息は絶え絶えになった。


作中に「恋愛でじたばたするより大事なことがあんだろ」というセリフが出てくるんだけどこの使われ方がすごく好き。愛なんですよね。長風呂しながらずっとこの映画の事考えてた。何かを観たり聴いたりしていろいろな感情になったり、余韻にひたひたという時間って久々にしっかり持てたかもしれなくてほんとうに大事にしたいと思った。

髪と気持ち

少し前のことになるが、髪を切った。襟足がほぼない。ショートボブだ。

しばらくロングヘアだったこともあってか相当思い切ったように見えるらしい。「なんで?」は相当言われた。伸ばすのにも切るのにも理由はそうしたいから以外にない。

「失恋か?」とかきかれたけどマジでそうだったらどうするんだよ。たぶん泣いちゃうぞ。反省とか心機一転とか、意味合いや念が込められがちなパーツではあるけどな。

じつのところ、私にもスッキリした感覚はある。軽やか。いままでぼんやりと可愛くなりたいと思ってたけどこんな服が着たい!とか、今までと違うメイクをしたいとか、具体的に浮かんでくるようになった。体型も漠然と痩せたいとは思ってたけど最近はなんとなく目指すところがみえる。

ほんとうに単純な女だと思うけど、今までよりはっきりした気持ちだし、自分のことをもっと好きになるためにもやるのだ。

111718

毎週楽しみにしているラジオ番組にはもう間に合わないことが確定した。もうそれだけで超絶望。わたしの部署は残業を極力しないことを美学にしているけれどこの数ヶ月は残業しがちで、月1万5千円はもらってもいいくらいになってきている。ちなみに残業代は出ない。弊社は黒です。

 

タイムカードをピッとしたら(残業代出ないのに打刻の意味あるんか?と思う)、すばやく着替えて家路を急ぐ。早足で歩くけど靴が少し大きいもんだから力がぐっと入らなくてまぬけな歩き方になる。だいたい朝はきつくって帰りにはぶかぶかになる。世の中は逆の人が多いらしいね。

 

なんやかんやでする事がいっぱいあった。だいすきなゴールデンボンバーの曲で「忙しくてよかった」っていうのがあるけどほんとうにそうだなと思う。暇ができるとまたいぬのことを考えてしまうし、まぶたがパンパンで二重の線が消えてめちゃくちゃやばい顔なのも動き回っていればあまりバレない。残像だけで捉えてくれ。

なんか、割と自分でも自分の愛はいい愛だと思うんだけど打たれ弱さがほんとうにひどいのですぐ荒んでしまっていけない。だからほんとうに私はいつも私を脱ぎたいって思ってる。

人としてもっと腐っちゃえば楽だなあって瞬間もあるけどびみょうに腐りきれないからしんどい。なんか汚いことをたくさん考えてるしいつも被害妄想に取り憑かれてるのに愚痴すら上手く言えないもんだから言語化できない嫌な気持ちがヘドロみたいな感じでたまっていって最終的に消えるを選んできた人生でしたし、それは誇れることではないっていうか最低最悪だからもうしたくないんですけどじゃあ、どうやったらいいんだ。冬ってだけでもうわたしはだめなのに。人にあてられたりあたったりで最悪になるのは避けたいからやっぱ消えるしか選べなくなって結局どのみち最低じゃん。いまもってる愛は守りたいしそのためにはどっかり構えたわたしでいたいんだけどなんか上手くいかん、てか恥を上塗りし続けてる人生だし誇らしい日なんて1日もないし。愛への感受性はほんとうはすっごい鈍いつくりになっていて足りない足りないっていつも叫んでいるばかりか嫌われてる気すらしてくる日が1週間に4日あるくらいなんだ、きらわれてようとなんだろうと、そこまでいかないと愛に到達できないのかもな 人生修行すぎ

 

思想強い系で片されるわかる

 言葉の難しさを常々感じている。もともと気持ちを言語化するということはあまり上手ではなく、数週間とかそのことについて考えて(取りつかれてるともいう)、バーっと出してそのなかから選んで組み立ててやっと思うことを思ってるままに近い言葉で伝えられるようになるという感じ。もっと考えずに話したほうがいいのかもしれないがそれもしたくない謎の意地。

言葉を尽くしてもなんか違うように取られてしまうことも多くてもう何も言いたくないよ~~~!とも思うし、でも黙ってもいられないよ~~~!でもあり、活字で書くことを逃げ場にしている。最近は特に活字を読むことも好き。小説を読んだり、音楽を聴くときも歌詞をあらためて見たりとかしている。救いすげえ~~……ほんとうにお世話になっております。

なんて言っていいのかわからないけどもやもやするな…で片付けてしまう気持ちを活字に、しかもエンタメにしてしまう人達すごすぎる。尊敬と感謝。

ずっと持ち続けている死にてえ気持ちについても、いろんな気持ちをひっくるめたものが死にてえ、なんだなと気づけた。とはいえ幸せでも死にたくなっちゃう自分には対処しかねている。他者からの攻撃や、大きな悲しみに出会ったことで死にたくなったのなら生きる場所を変えたり悲しみの要因を除くための色々をするべきだけど、私の悲しみの要因は強いて言うなら“世界”だ。生きづらい誰かが軽んじられたり揶揄されてしまう世界。わたしの可愛い人達の良さに気づかなかったり都合よく消費してやろうとする世界。自分が割食ってるわけじゃなくても悔しくて、度々「こんな世界いらねえよバカが!」って思うけど世界を捨てることすなわち命を捨てること、なんだよな。生きるためには悲しみを除かなければならないが、除くものが自分の命〜〜。なく。

他者を絶って離島でひとりで生きるというような、一見して世界を捨てたような生活をしている人でも介入されたりおもちゃにされたりしているのを見たことがある。命を捨てなかったら世界からは逃げきれないぽい。無理すぎん。

こういう世界だけど、我々は暫定的にここで生きることを選んでいる。だから出会えたし、それに関しては感謝だし、幸せもある。与えられるばかりではいたくない気持ちはある。

へっぴり腰にならずに人を愛すことを25歳の目標にして過ごしてたけど、できているだろうか。少しは進化したと思っているんだけれどすぐ揺らいでしまうのでさらにみんなを強く愛して、守れるようになりたいね。だれかのために私が出来ることってなんだろう?っていうことを割と頻繁に考えるが、無力すぎて泣けますね。へらへら笑っていることしかできないわたしでした。