思想強い系で片されるわかる

 言葉の難しさを常々感じている。もともと気持ちを言語化するということはあまり上手ではなく、数週間とかそのことについて考えて(取りつかれてるともいう)、バーっと出してそのなかから選んで組み立ててやっと思うことを思ってるままに近い言葉で伝えられるようになるという感じ。もっと考えずに話したほうがいいのかもしれないがそれもしたくない謎の意地。

言葉を尽くしてもなんか違うように取られてしまうことも多くてもう何も言いたくないよ~~~!とも思うし、でも黙ってもいられないよ~~~!でもあり、活字で書くことを逃げ場にしている。最近は特に活字を読むことも好き。小説を読んだり、音楽を聴くときも歌詞をあらためて見たりとかしている。救いすげえ~~……ほんとうにお世話になっております。

なんて言っていいのかわからないけどもやもやするな…で片付けてしまう気持ちを活字に、しかもエンタメにしてしまう人達すごすぎる。尊敬と感謝。

ずっと持ち続けている死にてえ気持ちについても、いろんな気持ちをひっくるめたものが死にてえ、なんだなと気づけた。とはいえ幸せでも死にたくなっちゃう自分には対処しかねている。他者からの攻撃や、大きな悲しみに出会ったことで死にたくなったのなら生きる場所を変えたり悲しみの要因を除くための色々をするべきだけど、私の悲しみの要因は強いて言うなら“世界”だ。生きづらい誰かが軽んじられたり揶揄されてしまう世界。わたしの可愛い人達の良さに気づかなかったり都合よく消費してやろうとする世界。自分が割食ってるわけじゃなくても悔しくて、度々「こんな世界いらねえよバカが!」って思うけど世界を捨てることすなわち命を捨てること、なんだよな。生きるためには悲しみを除かなければならないが、除くものが自分の命〜〜。なく。

他者を絶って離島でひとりで生きるというような、一見して世界を捨てたような生活をしている人でも介入されたりおもちゃにされたりしているのを見たことがある。命を捨てなかったら世界からは逃げきれないぽい。無理すぎん。

こういう世界だけど、我々は暫定的にここで生きることを選んでいる。だから出会えたし、それに関しては感謝だし、幸せもある。与えられるばかりではいたくない気持ちはある。

へっぴり腰にならずに人を愛すことを25歳の目標にして過ごしてたけど、できているだろうか。少しは進化したと思っているんだけれどすぐ揺らいでしまうのでさらにみんなを強く愛して、守れるようになりたいね。だれかのために私が出来ることってなんだろう?っていうことを割と頻繁に考えるが、無力すぎて泣けますね。へらへら笑っていることしかできないわたしでした。