やりすぎやろ

 って思うくらいの暑さが到来していますねJAPAN、職場の最寄駅の周りでは10羽くらいの鳩が昨日の雨水で水浴びをしている。あいつら冬も夏もやっとるけどあんまり温度の感覚とか無いんかな。ムクムクしててかわいかった。


私はというといっときの事を思えば肉体も精神も夏に適応し始めていて、なんか自販機のルーレットはしょっちゅう当たるし、悪い流れではないはず。こちとら夏の女なんだぜ!という気持ちだけは取り戻している。


最近はこんなコード知らんわからん、いや指届かんやろ、とか思いながら夏の曲をギターでいくつか練習していて、コードだけでもキラキラした響きの連続で気分も高まる。


な、あんたも、考えてもみなさいよ、夏っぽい響きをね、自分の手で鳴らしてると思たらね!、高揚しますやろ。そういう事なんです。


 今までを振り返ってみても節目が訪れるのはこの季節で、まさに今年も大きな変化を前にしていて、不安だとかどうしようかなとかあったけど、もう考える暇すら過ぎて過ぎて、私の気持ちは置いておいて受け入れるしかなく、うまくいくかは分からなくてもとりあえずなんとかなるだろ!と思うしかないみたいな今にいる。


麦茶を作って、飲みきったら容器を洗ってまた作って、をするのが苦手だったんです。


でも今年の私はちゃんとこの繰り返しをできるから、だから、すこしはマシになってるのだと思いたい、しかし毎日抗うつ剤を飲み這うように出勤し午前中は魂が抜けきっている、そういう精神の状態でマネジメントなんか可能なのか?会社も任せるつもりなんか?そういう疑念はしっかりと残しながらどう生きるか選び取っていきたいなと思う。よぎってるってことはそういうことなんだと思う。人生っ!


こちらはうっかり死にたいと思ってしまう命だし、ここはこれからどうなるかわかんない国だし、もう好きにしたほうがいいかもしれないな〜。サマージャンボ当選して週3でバイトする夢をまたみている。

ラ🎶

 

何かやらなきゃ誰にも会えないって大黒摩季も歌ってるし、マジだよなーっていつも思うの、結構JPOPはね、マジなんだよ。

 

何かやれてるかわたしは。

 

役に立てているのか、何か成し遂げようとしているのか?愛せているか、己への問いは極まってきて、

 

(何かをできていない=死ぬべき!)

 

というデスゲーム的思考に支配されており、もちろん人は特別でもない日をやったりすることも多いわけですが、その偉さも理解しているわけですが、極まっている状況下においてはお前は死ぬべきという判断が下り、もうこのタオルとか、あれとかこれとかで向こう側に行けるのでは、などと具体的なことを考えはじめていた。

そこで初めてズッ友だよ♡と思っていたしにたみが知らず知らず肥大化していて私を食ったことに気づいた。

 

これは珍しくもないことですが、軽度のうつ病なのだそうです。

 

希死念慮、恥/罪の意識があり自分を責めまくるのは元の性格もあるけれど、脳のバグといえる域にあると分かったのはよいこと。身動きが取れるうちに行動したこともよいこと。死にたい癖に生きているのも、よいこと。

 

深刻になりすぎず、いろんな方法で寄り添ってくれる周囲がありがたくてたまらず、こんな私がなぜ恵まれている?とか、どう返そう、とかまたそんなことを考え出しては焦ったり悲しい気持ちになったり。頭でわかっていてもこころを切り離すのはむずかしいものですね。とにかくそういうことを考えて止まらない日は眠りに逃げてしまえ、zzz……

 

 

ぜったい強くなんかならない という強さ

カレンダーのページを新しくするときすこし落ち込む。毎秒毎分毎日毎週!要領悪いなりに目の前のことをなんとかする、それしか生き方が分からない。そうしているうちにいつのまにか毎月毎年終わっていく。

周りからすると少しズレてて生きづらくもある感覚とかも無くしたくはないなと思うのに、無意識に鈍らせる感覚とかもあって。でもなーんかきもちわるいな、がじわじわ溜まって、気づいた時には生きれないターンに突入している。

小さい時トイザらスとか行って、欲しいものとか親に言えなくて、よく帰りの車で泣いていた。

自分より年下の友達がチョコエッグのくそリアルな出目金を当てて泣いてたから私のうさぎと交換してあげて、手のひらの上の出目金を見て後々泣いた。こういうことで、ウジウジするなって怒られてたのはもういつからなのかわからんくらい。筋金入りのめんどさ。

いつも一時は耐えるけど結局崩れる。それも分かってるのにまたやる。でもさ、またやるってことはさ、分かってることにはならないんだな、行動が変わらないとなと思いながらまたやらかす。人生むずすぎ。

 

そういえばさっき献血に行ったんだけど、針が刺さる時に痛い顔しちゃったら看護師さんが「痛いよねぇ」って言ってくれて、それがなんか嬉しかった。

痛い時痛いって言うのって意外とかなわないから。がんばって言ってみたら怒られちゃったりとかしてさ、そんなんされたらもう何も言いたくないよモードなるし。

痛いって言ってるのになんか伝わらないのはなんでだろうな。死にたくなるけど生きてるから、しぶとい奴だって思うのかな。でも生きる方を選ぶために毎日を紡いで、それは合ってるって思いたいな。

想定してるモビルスーツどれ?

最近の私は家に帰ると何もしたくなくて怠惰をきわめていたんだけど、昨日の夜はインスタで家事系の投稿を見てるうちに突然やる気になってきて、風呂の床磨いたり排水口の掃除をしたりフライパンの裏の焦げ付きを落としたりしていた。

自炊のやる気は復活しておらず、というか数日分の献立を考慮して食材を買うとこまで考える気力がないので、オートミールと冷奴で済ませてしまった。なんか痩せそうだしこんなもんでもいいんじゃないかという気もしている。しかし、自分の体型の、なんていうのか、ぎゅっと身が詰まってる感じは結構好きなんだよな。好きなのに信じきれてないという感じ。

フワフワしてるくせ毛も選ばれし者感あって気に入っているのにサラサラストレート、華奢なからだ、ぱっちり二重みたいな大正解に怯んでしまう自分がまだいるんだよな……呪い!

でもありのままの私Love!というのもなんか違うだろ感。内面も含めてありたい自分に向けてちょっと足掻いてる自分の方がなんか好きだからジタバタしてくわよ〜!なんか推しの傾向がここで見えた感あるな!

 

なんの余韻タイム

あ、これもう1年以上前なんだ。とか思うことがよくある。今が何年で何月何日でみたいなところがずっとしっくり来ないまま時が進んでいる。今年も仕事してるうちに夏が終わった。雲の形とか日没の速さとか、いつのまにか変わっていた。

夏は過ぎたのに暑い日がある。季節ってバチッと切り替わるというよりは行ったり来たりしてる内にその季節の要素が深まってくるけど、それが苦手かもしれないことに気づく。今日からは秋!とかって分かりやすく変わってくれればいいけど、そうはいかないな。すこしずつ変わっていく良さも分かってるんだけど、ど!という感じ

日記です

今日やりたいこと全クリできたな〜!ってメモを見返している。べつに大変なことじゃないけどそういう事こそ取り掛かるのが難しかったりとかする。皮膚科と役所は2ヶ月寝かせてしまった用事なの。

 

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(字が汚いのはもう遠い昔に諦めている)

 

時間があったからエモい邦画とか観て、悪態つきながらも切ない気分になって悔しい〜。ドラ泣きレイプ(そら泣いてまうやろという題材を用いた強制落涙)とかでは無かった。エモコンテンツへの警戒心が異常。

 

 

Facebookの活用法

 Facebookに、もう何年も投稿をしていない。職務上あると良いという理由で残しているそのアカウントでは動物園・水族館のページばかりをフォローしていて、イルカやアザラシ、パンダなどたくさんの動物たちの生活ばかりがフィードに出てくる仕様にし、それを眺めるのを日々の癒しとしている。自然と動物たちの名前や、各施設での赤ちゃんの誕生などにも詳しくなる。


北海道の旭山動物園では最近、ダチョウのヒナが生まれた。フワフワの毛をまとって親鳥のあとをチョロチョロとついて歩く姿が本当にかわいい。ほぼ毎日投稿されるダチョウの親子の近況にいいねをしていたらいつのまにか旭山動物園のトップファンになっていた。

これは週ごとの集計で最もリアクションやコメントをしている人に与えられる称号らしい。響き的にはTOみたいなものを連想するが、もう少しライトな感じ。調べたら管理者から認知されるって感じらしい。

茶の間のトップファン。SNSなのでそうなるのは当たり前なんだけども、ちょっと不思議だなあという気持ち。ダチョウのヒナに救われてる人選手権があるならかなりの位置にはなると思う。

動物全体にいえるけど、ほんとうは生きることに理由とかなくて、生まれたから生きる。それだけやな、と思えて目頭が熱くなる。そういうパワーがある。

 

皆様も是非ご覧下さい。とってもかわいいですよ。

 

https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/news-blog/breeding-news/d075414.html